ここで日本の意匠・葛飾北斎についての深堀り〜其の1〜

カヲルです。

 

本ブログ、長いブログとなりますゆえ

 

お暇のある時、ゆるりとお読み頂けたら幸いと存じまする。

 

 

 

ブログは、題名の通りですが。

 

SUN SURFの「日本の意匠」シリーズのお話で御座います。

 

その中でも、

 

日本で最も有名な画家のひとりである

 

「葛飾北斎」

 

 

言うまでもなく、2023年現在で言えば

 

日本国のパスポートや

 

 

 

新しくなる1000円札のデザインでも

 

 

北里柴三郎と北斎の神奈川沖浪裏というコンビネーションの1000円札になります。

 

パスポートや紙幣のデザインに使われるというのは、

 

まさしく「日本の顔」と言っても過言ではないでしょう。

 

 

そして「SUN SURF」

 

こちらも、今や日本を代表するハワイアンシャツのブランドであり、

 

その出来栄えとして言えば、日本だけではなく

 

世界レベルのハワイアンシャツを作るブランドであり、

 

その範囲は、ビンテージのハワイアンシャツの復刻だけでなく、

 

名だたるアーティストなどとのコラボレーションなど、

 

多岐にわたるジャンルのハワイアンシャツを世に提供し続けるブランドです。

 

 

その、時代やジャンルは違えど、世界TOPクラスの2ネームが

 

「日本の意匠」というものでひとつになったという事なのです。

 

・・・・・もちろん、日本の意匠シリーズは葛飾北斎だけでなく、他の意匠たちも顔を揃えているわけなのですが

そちらの素晴らしさは言うまでもなく。ですが、今回のブログでは葛飾北斎に焦点を当てていきます!・・・・・

 

 

 

と、ここで。

 

当店ブログを、

 

隅から隅まで読んで頂いている方、

 

このブログを必ず覚えておいてください。

 

そうです。

 

なぜ、ここで「日本の意匠・葛飾北斎」のブログを、

2023年のハワイアンシャツの入荷が完了した少し後に、

深堀りして書くのか・・・・・・・

別注やるのか!と思った方、違います。

ただ、「覚えておいて下さいね」という事を覚えておいてください。

 

 

さて。ちょっとインパクトを植え付けさせて頂いたところで、

 

続きに参りましょう。

 

 

実際に、店頭に立っていて体感する事としては

 

アメカジというものは好きだったが、日本画、もちろん北斎の事など興味もなく、

知りもしない・・・という感じの人が、興味を持ったり、

北斎という人や、作品に対して少し知識などが根付いた・・・・

 

という感じがします。

 

SUN SURF、東洋エンタープライズが、

 

日本の意匠を展開した事によって、

 

日本を代表する画家である、葛飾北斎という人が

 

少なからず多数に知れ渡った・・・・という事でもあります。

 

そして、ここで

 

今までブログに書いた事がない事も、ある事も、すべて含めて

 

「SUN SURF×北斎」や、「葛飾北斎」というものが

 

いかに素晴らしいかという事をお話ししようと思います。

 

 

まず、この葛飾北斎という人が世界でどれだけの認知度があるのか・・・・という事。

 

「世界で最も有名な日本人」というランキングが、

 

世界の色々な国、いろいろなジャンル(スポーツ、アーティストなど)、年代などで

 

ランキングされています。

 

それも、そのランキングを集計する国の文化水準などによっても

 

まったく違う結果になりますが、

 

例を挙げると、アメリカの「LIFE」という歴史ある雑誌がありますが。

 

 

このアメリカを代表する雑誌では、

 

19世紀という年代で、ゴッホなどの有名画家を抑え

 

19世紀最高の画家に選ばれたほどであります。

 

では、なぜに「葛飾北斎」という人がそんなにすごいのか。

 

「葛飾北斎」という絵師の作品を北斎美術館オフィシャルとして

 

SUN SURFが展開する事が、どれだけすごい事なのか。。。。。

 

実際に、北斎北斎言っても、なんとなく柄が良いなどの理由で北斎のハワイアンシャツを選ぶ方々が

 

ほとんどであろうと思いますが、

 

ここで北斎のすごさを深堀りし、

 

現在店頭にある「日本の意匠・葛飾北斎」をご紹介しようと思います。

 

 

凄さ・其の1「目に見えないものを描く」

 

こちらも誰でもご存知な画家のひとりでありますが。

 

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」という人がおります。

 

 

絵画だけでなく、

 

音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、

 

天文学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学など・・・・

 

まさに万能の人。

 

ダヴィンチは「絵画こそが最高の芸術」と言っていたそう。

 

一方、彫刻家であるミケランジェロは激怒。

 

ダヴィンチに詰め寄りますが、ダヴィンチは

 

「君には空気は表せないが、私は空気が描ける」

 

と言い放ったそう。

 

同じくダヴィンチは、遠くの山々が青っぽく見えるのは

 

水蒸気の層による影響という事も、科学的に知っていて

 

空気遠近法という、まさに目には見えないはずの「空気を描く」事が出来たのです。

 

同じく北斎も、

 

これを知ってか、知らずか、

 

北斎の絵には、物や動物、線などを使って

 

目に見えないもの、現象を描いた作品がたくさんあります。

 

 

2023年の日本の意匠の北斎の「牡丹に胡蝶」も風を描いているというのは

 

以前、ブログでもお話ししましたが、

 

上の絵の、富岳三十六景のひとつ「駿州江尻」も、

 

持ち物が強風で飛ばされるという事で、目に見えない「風」を描いていたり

 

必死で服などを飛ばされないように押さえていたり・・・・・・

 

ただの「風」ではなく「強風」ということがわかります。

 

そして

 

目に見えない「風」だけでなく、

 

聞こえるはずのない、人々の「悲鳴」までも聞こえてくるというオマケつき。

 

自然そのものを変態的に観察し、自然と物体の反応を絵にする・・・・

 

という事が出来る絵師・画家なのです。

 

 

凄さ・其の2「影響力とメッセージ性」

 

帝国ホテルの旧本館の設計者であるフランク・ロイド・ライトという人が居ます。

 

そのライトが手掛けた歴史的な作品、「落水荘」というものがあります。

 

 

とある人物からの依頼を受けたライトは、滝の上に建つ建物を設計。

 

注文者は、滝の上に建つのではなく、滝が見える設計にして欲しいと要求します。

 

するとライトは

 

「滝だけでなく、その周りの自然と一体となり暮らして欲しいと思ってこの家を設計しました」

 

と答えて、あるものを取り出します。

 

それが北斎の「諸国瀧廻り」でした。

 

 

※実際には、諸国瀧廻りは数種類あるので

どの瀧図を出したかは不明。。。

 

近代建築史に大きな影響を与えた建築家も、

 

北斎の絵にインスピレーションを得ていたというのは

 

凄い話であり、生きた時代は関係なく、影響力というものが存在するという事です。

 

 

同じく、ヨーロッパの画家たちも

 

北斎に大きな影響を受けています。

 

「モネ」という画家は、絵に詳しい人だけでなくとも知っている方は多いと思います。

 

代表作は「睡蓮」など。。。。

 

 

そもそも、印象派というもの自体に多大な影響を与えたと言った方が良いか。。。。

 

印象派の画家たちは、北斎をはじめとした浮世絵の手法に影響を受けるだけでなく、

 

「冨嶽三十六景」のように

 

ひとつの画題を、条件を様々に変えて描くという手法もまねするようになります。

 

ドガなんかも、同じく印象派の画家ですが、北斎の連作に影響を受けています。

 

 

凄さ・其の3「時代の先の先を行く」

 

「冨嶽三十六景 本所立川」という浮世絵。

 

 

絵・左側に注目。

 

下から木材を投げてる人が居ますね。

 

キャッチしようとしている人が立っている場所、それも木材ですが

 

明らかにその高さなど誇張されているそう。

 

実際にはもっと低くないと崩れてしまう?そうだが、

 

あえて絵としての面白味とか、迫力を重視しています。

 

絵・右側にある木材も、絵としての面白さを重視した構図になっています。

 

観察の鬼でもある北斎でありますが、

 

実際の風景などを正確に描くだけでなく、

 

観察し、その風景などが、どうなっていれば絵として面白いか・・・・という事を

 

考える事が出来る画家でもあったという事なのです。

 

グラフィックデザインなど無い時代に、絵としての面白さを重視して

 

グラフィカルな表現をやってのけています。

 

あとは、以前にブログで書いた事がありますが

 

「カメラ・オブスキュラ」という、当時日本には入っていなかった機械を使い

 

絵をかいていたり・・・・と、

 

常に古い、新しい関係なく、「良きもの」を取り入れようとした北斎の時代感。

 

名前や、住居などにもこだわりがなかった北斎なので、

 

別に伝統とかそうゆうものよりは、自分の思うような絵が描ければ

 

他の事は気にならない・・・・という感じだったのでしょうね。。。

 

まさに画狂老人。。。。

 

と、実際に「凄さ」を書いてゆくと

 

1つ、2つのブログだけでは到底足りず。。。。。

 

というわけで、日本の意匠・北斎に関しましては

 

毎年夏のハワイアンでは必ず発売するという事になりますので

 

(他の日本の意匠は、誰が出るかギリギリまでわからない!!)

 

「日本の意匠・葛飾北斎」に関しましては、

 

季節問わず、読み物として掲載していきたいと思います。

 

ので、凄さについては

 

次のブログのお楽しみという事にしましょう。

 

そして最後に・・・・現在、ジャンキークラシックス店の店頭にある

 

「日本の意匠・葛飾北斎」をUPしてゆきます!

 

(通販ページへのリンクは、商品名をクリックしてくだされ。)

 

「武者絵」

 

 

「忠臣蔵討入」

 

 

「凱風快晴」

 

 

「山下白雨」

 

 

「宝船の七福神」

 

 

「江戸五景」

 

 

「釈迦御一代記図会・六」

 

 

以上が、現在クラシックスの店頭にある「日本の意匠・葛飾北斎」であります。

 

本日、2023年8月10日現在、横浜も夏が極まっておりますが

 

「夏の物は、夏に買う」というのが、

 

現在アパレル業界で忘れ去られつつある真実であると思いますので、

 

夏の服「ハワイアンシャツ」を、

 

是非、今まさにこの時期に。

 

北斎に関してはまた深堀りブログ・其の2で書こうと思います。

 

長いブログ、ここまでお付き合い頂き

 

有難う御座いました!

 

 

 

Youtubeの方も宜しくお願い致します!

 

JUNKYCLASSICS TV - YouTube

 

 


フレンチワークというもの。

カヲルです。

 

先日のブログにて

 

 

「Le sans Pareil」について紹介させて頂きました。

 

が、しかし。

 

商品を紹介するというブログですから、

 

商品を紹介しなくればなりません。

 

ので、

 

フレンチワークというものについて、詳しくお話をしなくてはならないと思っておったのです。

 

スタッフ同士の会話でも、

 

アメカジ好き!って人に対して、フレンチワークって言葉を出すと

 

少しテンション下がる感じってあるよねーって。

 

我々、ジャンキーはアメカジショップでありますから、

 

当然、アメリカというキーワードが大切になってくるわけなのですが、

 

じゃあ、ジャンキークラシックスでも販売していますが

 

Lewis Leatherはどうなのよ?って話です。

 

まさにイギリスを代表するブランドのひとつで、いまだにイングランド製。

 

同じく、KERRY WOOLEN MILLSや、CORGIなどもイングランド製。

 

BARBOURもイングランド製。

 

その他にも、フランスや、スペイン、チェコ、ポーランドなどなどのヨーロッパのブランドも扱っていますし

 

皆様、特に気にせず身に着けているのを、店頭でもよく見かけます。

 

アメカジって物は、実はアメリカの原産などだけではなく

 

多くヨーロッパのブランドや、アイテムなんかは必須だったりします。

 

 

 

そもそも。

 

深い歴史の話をすると、どこの国でもなかなか他国の人が触れてはいけないような話もありますが

 

アメリカ、アメカジというものに関して言えば、元はヨーロッパから渡ったものが

 

独自の進化をしたものであるという事を忘れちゃいけません。

 

まさに、ルーツ オブ アメカジでありますよ。

 

 

さて。

 

本題に入ります。

 

 

「フレンチワーク」とは何か。

 

1800年代という古い時代(アメカジの前の話ですから、1900年代じゃなく1800年代なんです。)

 

フランスの労働者が仕事の時に着ていた服の事です。

 

アメリカの労働着で言うところの「キャンバス生地」にあたるものが

 

フレンチワークでは「モールスキン」「ツイル生地(コットン、ヘリンボーンなどなど)」

 

それに当たるという感じです。

 

 

 

職種も様々なのは、どこの国も同じですが

 

炭鉱夫、電気系、軍人、漁師、はたまた、いかにもフランスらしい話をすれば

 

芸術家なんてのが着ていたものも(アトリエコート)、フレンチワークに分類されます。

 

先日紹介しましたブランド「Le sans Paleil」のアイテムにつきましては

 

全てモールスキンですが、

 

1800年代から1950年ぐらいまでは、モールスキン。

 

1950年代以降は、ツイル生地などが主流になってゆきます。

 

 

 

で。

 

「モールスキン」とはなんぞや。という話。

 

先ほどの職種の話に出てきましたが。

 

「炭鉱夫」って。

 

 

このモールスキン生地、炭鉱夫の労働着でよく使われた生地だった為に

 

炭鉱夫=地下に潜る・・・・という事で、

 

「MOLE SKIN(もぐらの肌)」という名称になったなんていう話もあるそうですが、

 

実際のところは不明で、光を反射するほどのツヤ感と、微妙な起毛感が

 

もぐらの肌っぽい感じだからってのもあるそう。

 

生地自体の作りで言うと、

 

なにしろ目の詰まった、強き生地です。

 

「横繻子織」(よこしゅすおり)という、

 

これも前に紹介しましたが、ベンタイル生地のように

 

細い糸を、かなり高い密度で織り方で織っている生地。

 

使い込む事で、かなりの経年変化が楽しめる生地ですが、

 

使い込み過ぎてボロボロになっても、パッチワークなどリペアして着ても

 

すごく面白味のある生地でありますので、

 

着甲斐のある生地です。

 

第二次世界大戦というのは、様々な国の様々な状況に影響を与えましたが、

 

アメリカだけでなく、

 

フランスの状況にもたくさん影響を与えました。

 

今の話の流れで言えば、

 

1800年代から1950年までがモールスキン・・・・という話を先にしました。

 

その1950年というのが、第二次大戦が境目になっているという事。

 

炭鉱産業が衰退した事と、

 

戦争で多くの織り機が消失してしまった事で、

 

モールスキンの需要と供給が減退していった為に、

 

1950年まで・・・という事になったのです。

 

(当然、その後もモールスキン生地は存在はしていますが、大きな分岐点で・・・という話です。)

 

 

と、1950年以降のフレンチワークの話というのもありますが、

 

今回は「Le sans Pareil」の新入荷に合わせた、フレンチワークのお話ですから、

 

今回の入荷は「モールスキン」のアイテムのみですからね、

 

このブログを読んで、

 

少しでもフレンチワークの面白さに関心を持っていただけたらと思い、

 

長い長い読み物を書かせて頂きました。

 

どう?

 

このブログ読んで、

 

ちょっと「Le sans Pareil」のアイテム、欲しくなった!って人、

 

いるでしょー???

 

居ないと寂しいけども。。。。

 

というわけで、フレンチワークも是々非々に。

 

実に奥が深くて、面白いものですよー。

 

 

以上、

 

カヲルがお送り致しました。

 


スカジャンというもの。

カヲルです。

 

ジャンキーでは、アイテム的に定番というのがあります。

 

春夏では、ハワイアンシャツなど。

 

秋冬では、フライトジャケットなど。

 

その中で、

 

「スカジャン」

 

というものがあります。

 

アメカジというジャンルの中でも、

 

日本製、日本発のアメカジの王道アイテム。

 

言わずと知れた、周知の事実であります。

 

 

戦後、日本に入ってきたアメリカ軍兵士たちのお土産、記念品として

 

JAPANの文字や、その他日本の地名、龍、虎、鷹など日本を代表するようなモチーフ、

 

はたまた兵士自身が所属していた部隊名などなどを、

 

ジャケットに刺繍したのが始まり。

 

sukajkt (3).JPG

 

 

そして、その当時、

 

スカジャンを生み出した会社が、

 

東洋エンタープライズの前身、

 

「港商商会」

 

 

生地などの輸出入をしていた会社でした。

 

sukajkt (4).JPG

 

当時、銀座あたりでは

 

アメリカ軍兵士相手の露店などが並んでいたそうで。

 

そこで日本の伝統アイテムである、着物や、反物、帯などなどを買うアメリカ軍兵士などを見て、

 

港商商会の社員が考え出したものこそ、

 

スカジャン。

 

スカジャンとは和名で、

 

1970年代以降にはジーンズ同様に、アメリカンアイテムが流行し、

 

アメリカ海軍の基地がある横須賀周辺で主に販売されていた事から、

 

「スカジャン」(言わずともわかりますよね。ヨコスカ・ジャンパーです)

 

と呼ばれていたわけなのです。

 

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(画像は60年代初期の横須賀のどぶ板横丁)

 

 

英語名では、

 

「SOUVENIR JACKET」(スーベニア・ジャケット=お土産物のジャケット)

 

と呼びます。

 

そこで港商商会は、

 

アメリカ人に親しみやすいベースボールジャケットに似た形のジャケットに

 

先にお話したような日本風の刺繍したり、

 

オーダーで兵士自身の名前や、部隊名、はたまたペットの名前などを

 

桐生や、足利などの職人に依頼し刺繍したものを製作。

 

生地は当時は絹糸の入手が困難だったようで、

 

シルクの代替として、生地感が似ているアセテート生地を使用しました。

 

 

すると、露店で大人気となり、

 

それがPX(米軍基地内の売店)の目にとまり、

 

日本各地の米軍基地内のPXに正式に納入される事になったのです。

 

 

1950年代、

 

港商商会は、そのシェアの95%を占めていたそうで。。。。

 

まさしく、アメリカで発見されるスカジャンのビンテージなどは

 

ほとんど港商商会のものと言っても過言ではない状態という事ですよね。

 

 

そして、港商商会が今の東洋エンタープライズなのですが。

 

東洋エンタープライズ(以降、東洋と表記します。)には、

 

sukajkt (5).JPG

 

当時の型を転写する紙が今でも保存されています。

 

 

この型。

 

和紙に、柿渋(柿の実から採取した、防水防腐用の液)を染み込ませて固めた

 

「紋紙」に、スカジャンの図案を切り抜いたもの。

 

裁断された布に型を合わせて置き、亜鉛華(亜鉛を燃やした時に出る白い粉で、水に溶けにくい)と

 

膠(にかわ=ゼラチン)を混ぜたものを刷っていきます。

 

この方法は、着物など純和装でも使われる技法で、

 

その刷ったものに合わせて、職人が刺繍を入れていくという感じ。

 

そして、その刺繍を入れる職人。

 

先ほど、桐生、足利と書きましたが、

 

もともと絹織物の生産が盛んな地域。

 

同じく、その絹に刺繍をする職人さんもいる地域。

 

戦後の混乱期。

 

生きて行くのに必死な時代。

 

少しでも仕事を得る為に、刺繍の技術を落とさない、むしろ向上させるように

 

精進していた地域でもあります。

 

そこで刺繍を施された、そして現在も施されている港商のスカジャン。

 

通常のミシンではなく、横振りのミシンを使用しているのですが、

 

港商のスカジャンは、そのミシンを使っているだけでなく、

 

1950年代の当時、実際に刺繍を手掛けていた職人が

 

針足や、運針などを監修しているのです。

 

というわけで。

 

スカジャンというもの。

 

以上となります。

 

 

 

(もちろん、東洋のレギュラーのタイプのスカジャンも同様に、

港商の魂を継いでいる物ではありますが、)

 

以降、スカジャン、特に港商のスペシャルエディションを見る時には、

 

お金では買えない、歴史的背景や、様々なストーリーが組み込まれて出来たスカジャンなのだと

 

思って頂けると、幸いで御座います。

 

 


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