スカジャンというもの。
カヲルです。
ジャンキーでは、アイテム的に定番というのがあります。
春夏では、ハワイアンシャツなど。
秋冬では、フライトジャケットなど。
その中で、
「スカジャン」
というものがあります。
アメカジというジャンルの中でも、
日本製、日本発のアメカジの王道アイテム。
言わずと知れた、周知の事実であります。
戦後、日本に入ってきたアメリカ軍兵士たちのお土産、記念品として
JAPANの文字や、その他日本の地名、龍、虎、鷹など日本を代表するようなモチーフ、
はたまた兵士自身が所属していた部隊名などなどを、
ジャケットに刺繍したのが始まり。
そして、その当時、
スカジャンを生み出した会社が、
東洋エンタープライズの前身、
「港商商会」
生地などの輸出入をしていた会社でした。
当時、銀座あたりでは
アメリカ軍兵士相手の露店などが並んでいたそうで。
そこで日本の伝統アイテムである、着物や、反物、帯などなどを買うアメリカ軍兵士などを見て、
港商商会の社員が考え出したものこそ、
スカジャン。
スカジャンとは和名で、
1970年代以降にはジーンズ同様に、アメリカンアイテムが流行し、
アメリカ海軍の基地がある横須賀周辺で主に販売されていた事から、
「スカジャン」(言わずともわかりますよね。ヨコスカ・ジャンパーです)
と呼ばれていたわけなのです。
(画像は60年代初期の横須賀のどぶ板横丁)
英語名では、
「SOUVENIR JACKET」(スーベニア・ジャケット=お土産物のジャケット)
と呼びます。
そこで港商商会は、
アメリカ人に親しみやすいベースボールジャケットに似た形のジャケットに
先にお話したような日本風の刺繍したり、
オーダーで兵士自身の名前や、部隊名、はたまたペットの名前などを
桐生や、足利などの職人に依頼し刺繍したものを製作。
生地は当時は絹糸の入手が困難だったようで、
シルクの代替として、生地感が似ているアセテート生地を使用しました。
すると、露店で大人気となり、
それがPX(米軍基地内の売店)の目にとまり、
日本各地の米軍基地内のPXに正式に納入される事になったのです。
1950年代、
港商商会は、そのシェアの95%を占めていたそうで。。。。
まさしく、アメリカで発見されるスカジャンのビンテージなどは
ほとんど港商商会のものと言っても過言ではない状態という事ですよね。
そして、港商商会が今の東洋エンタープライズなのですが。
東洋エンタープライズ(以降、東洋と表記します。)には、
当時の型を転写する紙が今でも保存されています。
この型。
和紙に、柿渋(柿の実から採取した、防水防腐用の液)を染み込ませて固めた
「紋紙」に、スカジャンの図案を切り抜いたもの。
裁断された布に型を合わせて置き、亜鉛華(亜鉛を燃やした時に出る白い粉で、水に溶けにくい)と
膠(にかわ=ゼラチン)を混ぜたものを刷っていきます。
この方法は、着物など純和装でも使われる技法で、
その刷ったものに合わせて、職人が刺繍を入れていくという感じ。
そして、その刺繍を入れる職人。
先ほど、桐生、足利と書きましたが、
もともと絹織物の生産が盛んな地域。
同じく、その絹に刺繍をする職人さんもいる地域。
戦後の混乱期。
生きて行くのに必死な時代。
少しでも仕事を得る為に、刺繍の技術を落とさない、むしろ向上させるように
精進していた地域でもあります。
そこで刺繍を施された、そして現在も施されている港商のスカジャン。
通常のミシンではなく、横振りのミシンを使用しているのですが、
港商のスカジャンは、そのミシンを使っているだけでなく、
1950年代の当時、実際に刺繍を手掛けていた職人が
針足や、運針などを監修しているのです。
というわけで。
スカジャンというもの。
以上となります。
(もちろん、東洋のレギュラーのタイプのスカジャンも同様に、
港商の魂を継いでいる物ではありますが、)
以降、スカジャン、特に港商のスペシャルエディションを見る時には、
お金では買えない、歴史的背景や、様々なストーリーが組み込まれて出来たスカジャンなのだと
思って頂けると、幸いで御座います。